物語の舞台は、19世紀のイギリス。インドで育った7歳のセエラ・クルーが、生まれ故郷のロンドンの寄宿学校へ入学するところから、物語は始まる。娘を溺愛している資産家の父親は、学院に多額の寄付をし、セエラは学院でも広い個室やメイドを与えられ、特別な生徒として遇される。最愛の父はインドへ戻り、一人残されたセエラだったが、豊かな想像力と知性、また優しい性格で、すぐに学院の人気者となる。
皆から「プリンセス」と呼ばれ、慕われるセエラだったが、父親が事業に失敗し破産・急逝すると、幸福な少女の境遇は一転する。冷酷な院長は、セエラを薄暗い屋根裏部屋へと追いやり、一文無しの下働きとしてこき使う。けれど、そんなみじめな境遇にあっても、セエラは誇りを忘れず、どこまでもプリンセスとして振舞う。そしてあるとき、奇跡のような出来事が起こる。
どんな逆境にあっても、自分をどのように規定するかによって、それにふさわしい運命が開かれていくことを、セエラは私たちに教えてくれる。 セエラの高潔な生き方が、胸を打つ。
アメリカの児童文学作家、フランシス・ホジソン・バーネットの古典的名作を、菊池寛の名文と懐かしい岡本帰一の挿絵で復刻。
アメリカ合衆国の児童文学作家、劇作家。
一八四九年、イギリスのマンチェスターで生まれる。幼い頃に父を亡くし、一八六五年、家族と共にアメリカのテネシー州ノックスヴィルへと移住する。家計を助けるために作家活動を始め、女性向け月刊雑誌に『心とダイヤモンド』を発表。一八七三年、医者のスワン・バーネットと結婚。一八八六年、次男ヴィヴィアンをモデルにした『小公子』を発表すると、母親たちの一大ブームを巻き起こし、主人公セドリックを真似るスタイルが流行となった。一九〇五年『小公女』、一九一一年『秘密の花園』、一九一五年に『消えた王子』を発表。世代・国境を越えて愛される名作を生み出した。
『小公女』は、一八八八年に『セエラ・クルー、またはミンチン学院で何が起きたか』(Sara Crewe, or What Happened at Miss Minchin's)というタイトルで発表されたが、その後、一九〇五年に『小公女』(A Little Princess)と改題されて書き直された。
小説家、劇作家、ジャーナリスト。
一八八八年、香川県高松市に生まれる。京都帝大文科大学卒業。芥川龍之介・久米正雄らと第三次、第四次「新思潮」に参加。卒業後、時事新報社の社会部記者となり、その傍ら『無名作家の日記』『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』を発表。時事新報を退社後、執筆活動に専念。『真珠夫人』で一躍流行作家となる。一九二三年、文藝春秋社を創設し『文藝春秋』を創刊。「日本文藝家協会」の設立、芥川賞・直木賞の創設など、文芸の普及に尽力した。 バーネット著、菊池寛翻訳による『小公女』は、『小學生全集』第五十二巻に収録。菊池寛によって執筆・編集されたこの全集は、一九二七年から一九二九年にかけて刊行された。全八十八巻からなる児童向けの広汎な『小學生全集』が、戦前の児童教育に果たした役割は大きい。
童画家。一八八八年、兵庫県に生まれる。
白馬会研究所にて、黒田清輝(せいき)に師事し、洋画を学ぶ。一九一二年、岸田劉生や高村光太郎らとフュウザン会の創設メンバーとして参加。その後、生活のために童話雑誌『金の船』『金の星』、『コドモノクニ』に挿絵を描き始めるようになる。作風は明るくモダンで、西洋への憧れを喚起させた。伸びやかであたたかな線は、『小公女』でも遺憾なく発揮されている。モノクロながら、『小公女』の物語世界を見事に切り取った挿絵は、多くの子どもたちを魅了した。
復刻版 小公女
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